感動してしまった・・・阿部敏郎さんのブログ「いまここ」

読み終わった後、自分が感動しているのがわかった。

いつも読んでいる阿部敏郎さんのブログ「いまここ」の最新の記事。
これはスピ系なので、お嫌いな方はスルーしてください。

阿部さんに関しては更新の度にブログを読んでいます。
講演会も何度か行きました。
できれば予備知識無しでそのまま読んでいただければと思います。

阿部さんの「いまここ」のページ

著作権はよくわかりませんが、全文を引用します。
関係者の方、問題があったらご指摘ください。
少しでも興味のある方はぜひ「いまここ」へどうぞ。

ここから引用


大転換の時代

「ブログを読んでいるときに宇宙の一瞥があった」

「講演を聞いているとき、一瞬にしてすべてを理解した」

「瞑想のマントラ伝授の最中、あるいは瞑想中に、真理を体感した」

最近、そういう報告が増えています。
大変光栄なことです。
その人の機が熟していて、最後の最後のほんの小さなきっかけに使ってもらえたのですから。
僕以外にも、同様のメッセージを発信する人たちが増えてきましたが、それぞれに、真理とのご縁を取り持つ役目があるのだと思います。

まだ気づきの体験がないという人は、真理の予備軍です。
あと一歩のところまで来ているのは間違いありません。
もっと正確に言うと、一歩もありません。
だって最初の最初からたどり着いているのですから。

最初からたどり着いていたということを、自覚する、認識する、それが「さとり」です。
その瞬間、人生には何一つ偶然はなく、無駄もなく、この瞬間を迎えるために、ただ起こることが起きてきたことを知り、存在の仕組みのありがたさに、魂が震えることでしょう。


さて昨日のコメント欄に、とても素晴らしい表現がありましたので、こちらでも紹介します。
neutrinoさんのコメントです。

ちょっと乱暴な例えですが、私達人間を含む全ての存在は、パソコン画面を構成している一つ一つの小さなドットのようなものではないか、と考えています。
一つ一つの存在は、小さなドットですが、それが何万、何十万、何億・・・と集まって、一つの画像を構成しています。

ドットが変化する毎に、画像は変化しますが、一枚の画像としての完成度は、やはり完璧です。
(この場合、絵としての完成度であって、何の画像であるか、ということは問題ではありません)
なので、どんなドットも、この宇宙という一枚の画像(立体画像)を構成するには、必要不可欠な存在なのだと思います。
この立体画像は、ダルマ(自然の摂理、宇宙の秩序)に従って変化します。
この宇宙法則は絶対なものなので、画像の変化は、決まっていて、その画像を構成するドットの変化も決まっている、ということになると思います。
自分と言う「個」も、この小さなドットであり、ダルマ(宇宙法則)に沿って、この宇宙を創造しているということを、完全に受け入れる(サレンダーする)ならば、カルマ(ダルマとの違いから生じる摩擦と、ボブさんはおっしゃっていました)は生じない、つまり、苦しみや恐れという摩擦は生じない、ということだと思います


真我(アートマン)は、瞬間、瞬間、変化する完璧な画像そのものであり、大いなるひとつ(ブラフマン)は、マトリックス(生み出す基盤となるもの、PCで言えば、ディスプレイ本体)であり、両者は、切っても切れない存在です。
ドットは、ディスプレイ本体がなければ、存在することは出来ません。
しかし、ディスプレイ本体も、ドットがなければ、己を表現し、己が存在することを自覚することができません。
真我と大いなる一つは、一体であり、それは、PCの画面と画面上の画像と同じような関係です。
私達は、ドットという「個」であると同時に、ディスプレイ上の一枚の画像である真我であり、いまこの瞬間も、全てのドットは、ひとつの集合体、大いなるひとつ、ワンネス、宇宙を構成し、創造しているのだと思います。

僕も、neutrinoさんも、そしてここに集う多くの覚者たちも、みんな一介の市民です。
歴史や宗教が大げさに伝えてきた、真理、神、さとり、宇宙、仏性、というものを、あたりまえに理解しています。
そして理解した後も、あたりまえに暮らしています。

いまだに瞬間的には心が動揺することもあり、心配や、嫉妬や、そのほか自我が持つ様々な特性が現れては消えることもあります。
変わったことと言えば、生きとし生けるものたちに同胞としての慈愛が生まれていること、最終的な安心感があること、みんなが自分と同じ存在だと知っていること、・・・そう、ここに書いてきたようなことを理解しているということです。


世界中の人が真実を知れば、文明は一変します。
人類がずっと夢見てきた、「天の王国」が地上に誕生するのです。

実はね、その後も小さなイザコザは起きては消えることでしょう。
神々の世界にも、小さなトラブルはあるのです。
でもせいぜい口げんかくらいで、相手の地域に爆弾を落とすなどという発想はありません。
そんな口げんかも、すぐに仲直りします。

ちょうど、一般的な家庭のようなものです。
世界が大きな家族になると思ってみてください。

なんて素晴らしい時代に生まれてきたことでしょう。
僕たちは文明の大転換を見届けるために生まれてきたのです。

引用ここまで。


筆者の意見はあえてなにも書きません。
とにかく読んで感じてください。

「真実」というものがこの世にほんとうにあるとしたら、誤解を招く言い方かもしれませんが、それはこんなスピリチュアルの世界にしかないかもしれないと筆者は思っています。