「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に関して。わりと悪口っぽい・・・

今回も筆者の独り言。

村上春樹さんの作品はお好きですか?
僕は彼のデビュー作からリアルタイムに読んできて、ある日その文章の言い回しが気持ち悪くなって、それからちょっと疎遠です。
なので前作の1Q84は発売日に買ったまま未だ最初のページも読んでない状態。

どこが気持ち悪いのかというと、例えば彼の最初の短編である「中国行きのスローボート」の文章。
著作権的にどうなのかわからないが、冒頭の数行だけ引用してみる。

 最初の中国人に出会ったのはいつのことだったろう?
 この文章は、そのような、いわば考古学的疑問から出発する。様々な出土品にラベルが貼りつけられ、種類別に区分され、分析が行われる。
 さて最初の中国人に出会ったのはいつのことであったか?
 一九五九年、または一九六〇年というのが僕の推定である。どちらでもいい。どちらにしたところで違いなんてたいしてない。正確に言うなら、まるでない。ぼくにとっての一九五九年と一九六〇年は、不格好な揃いの服を着た醜い双子の兄弟のようなものである。

この文章、気持ち悪くないですか?
最初に中国人に出会ったことを思い出すことは、考古学的疑問らしいです。
考古学的疑問ですよ!?
普通こんなこと言ったり書いたりしますか?
「考古学的疑問」も「不格好な揃いの服を着た双子の兄弟」も筆者的にはすごく気持ち悪い。

こんな言葉普通に使ったら、馬鹿っじゃないの?なにカッコつけてるの?って言われること間違いないと思うのだけど。
というか、この人おかしいんじゃないのと思われるような気がする。
話し言葉と書いた言葉、特に文章中の言葉は全く違うものであるのは当然だが、それでも違和感がありすぎる。
世界中の人がこの文章は名文だといっても、筆者はすごく気持ち悪いと思う。筆者の勝手だが。

なのでその後を読み進むのが難しくなるのです。
この作品の内容はリアルタイムに読んで今でもすごく好きなのですが、ある日この気持ち悪さに気がついてから彼の作品に対する興味がほぼ薄れてしまった。

ということでこの最近の最大の話題作「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」ですが、これは習慣のようにアマゾンで予約していたので発売日に自宅に到着した。
そして久々に読了。
上記の筆者の思う気持ち悪い言い回しが当然のように物語の全編に大量に炸裂している。

内容に関してはいろんな人がいろんなことをいろんな場所で言っているのでここでは割愛。
こんなブログの筆者がなにを言っても仕方のない事かなとも思いますが、正直読了後、もういちど読んでみようかなと思った。
これはもしかして最上級の褒め言葉かもしれない・・・
長編というよりも中編というところでしょうか、あっという間に読めてしまいます。

で、本書の発売で、いちばん驚いたのがその売れ行き。
これでもかというくらい事前のメディアの持ち上げ方がすごかったのだろうと思う。テレビは全く見ないし、新聞も読まない筆者でも、ネットで毎日本書の発売日までのいろんな記事を読んできた。
なので、いままで本なんて読んだことのない連中まで多分この本を購入したんじゃないかと思う。逆にそんな売れ方をしないと大ベストセラーにはならないと思うが。

発売日当日の朝いつものように書店(虎ノ門の小さな本屋)にいくと、案の定入り口入った場所に山積み状態。
とにかく通常の新刊の扱いとは全く異なっていて、その時点で店頭には4~50冊のこの本が並べてあった。
売れるのかなと思っていると、朝なのに入ってくるお客がかなりの率でこの本を手に取り、そしてまたかなりの率で買っているのだ。
生まれてからこれまで書店に入った数は大抵の人には負けないと思うくらい書店通いをしているが、これほどあからさまに目の前で売れている本をみるのは初めてだった。
想像していたとはいえ、かなり驚いた。

大昔にアメリカのバンド、グレイトフル・デッドが「ブルース・フォー・アラー」というアルバムを出したとき、過去のアルバムがまるで売れてなかった彼らの新作が突如ものすごく売れだして、どこかのメディアが「ホットケーキのように売れている」というような表現をしたという記事を読んだことがある。
今回は正にそんな感じ。

すごい、と思いながらその夜、会社帰りにその虎ノ門の本屋に寄ってみると売り切れていた。
その足で新宿の紀伊國屋に行くと、さすがに山積みの量が違ってて、こちらは本書を巨大なオブジェのように積み重ねていて、売り切れではなかったし、在庫もかなりあるようだった。
閉店間際だったのでわからないが、昼間はどんな状態だったのか見てみたい気がした。

ずっと前に糸井重里さんと村上春樹さんのコラボ本(今でも売っているのかな?)「夢で会いましょう」とかいう本を橋本治さんが、「気持ちいい文章と気持ち悪い文章が並んでいる」とか正確な文章は忘れたが、そんなことを書いていた。
筆者もそう思っている。
読んだときはそれほど思わなかったけど今はそう思っているし、彼独自の文体とはいえ、もっとどうにかならないかなと思っている。
いらないお世話か・・・

試しに彼の文体を真似て文章を書いてみるといいと思う。
現在本を出版しているプロの作家にもわりとそんな人がいるけど、悪いけどあまりいいとは思えない。
それは村上さんにはあまり関係のないことだけれど。
よほどのことがない限り、模倣の悪い部分だけが目立つだけだろうと思う。

でもそんな本がまたベストセラーになったり映画になったりするんだよね。
世の中ってよくわからない、というのが今回の結論。

さっき見た虎ノ門の書店では2回目の入荷分が売り切れになっていた。
これだけのベストセラーになればいわば社会現象かな。
ビジネスマンは押さえておかなければならないんだろうね・・・

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)
リエーター情報なし
中央公論社




色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
リエーター情報なし
文藝春秋